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| あなたは 他人の話を聞くことができますか。 話を聞く時 どのような気持ちで聴いていますか。 「聞く」 と 「聴く」 この違いを考えたことがありますか。 |
どんな言葉も きく人の心によって いかようにも受け取れるものです。 心を傾けて 心の耳で 聴いてみませんか。 |
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2006/03/28(火) 欲しいものは砂漠の蜃気楼 欲しいと思うものがあった時、それがほんとうに欲しいのかどうか。何かが欲しいという気持ちは、いわば砂漠の蜃気楼のようなものです。ですから、それがほんとうに必要なものであるかどうかを見極めることが大事です。 これは、商品に限ったことではありません。情報過多な時代にあって、ややもするとその情報に翻弄され、あれもこれもと手を出し、右往左往する人も決して少なくありません。それが、自分にとってほんとうに必要なものかどうかを、じっくりと考えてみる必要があります。 木に例えるなら、その木が木として成り立つために必要なもの以外は手放すことができればよいなと思います。後は、その木を太く、大きくしていけばよいでしょう。 2006/03/21(火) 欲しいもの、必要なもの 所用で明治公園の近くまで出かけました。公園内を埋め尽くすほどの人と車に、<何だろう?>と思いながら近づいてみると、フリーマーケットが行われていました。近年、盛んに行われるようになったフリーマーケットですが、これを見ると思い出す言葉があります。 「欲しいものではなく、必要なものを買う」 かれこれ20年程前に、一回りくらい年上の知人が言った言葉です。言われた時は<そんなこと言っても…>と思っていましたが、次第にその言葉の意味を理解できるようになりました。 私たちは、ともすると他人が持っているものを羨ましく思い、同じものを欲しくなったり、流行に目を奪われて手に入れたくなったり、何となく気になって買ってしまうなど、<あれが欲しい>という強い思いだけで手に入れることが多いように思います。 ところが、一旦手に入れると手に入れたことに満足して、仕舞い込んだまま見向きもしなくなることがあります。最後に行き着くところは、フリーマーケットやごみ処理場。<ほんとうにこれが必要だったのかな?>と考えることができればよいのですが、それすらできずに同じパターンを繰り返します。 私自身、これまで数回引越しをしましたが、引越しのたびに不要と思うものを大量に処分してきました。現在の所有物は、おそらく当時の3分の1にも満たないでしょう。それでもまだ、家の中、身の回りを見渡してみると、ほんとうに必要なのだろうかと思うものがたくさんあります。生きていることを楽しむために必要なもの、生活をする上で必要なもの、仕事のために必要なもの、というように考えて、またある種のこだわりを捨てる(手放す)と、ずいぶんシンプルになれるはずなのです。 「欲しいものではなく、必要なものを買う」 改めて考え、噛みしめた言葉でした。 2006/03/14(火) 『ターニング・ポイント』 現代霊気法技法CDのBGM、また靈氣CDでもお馴染みの宮下富実夫さんが遺した未発表作品を、宮下さん他界後はじめて新作オリジナル集として発表された『ターニング・ポイント』を、宮下リンダさんから贈っていただきました。以下は、この作品の紹介文です。参考になることばですね。 『心に光をともす 美しく優しさにあふれた 癒しの道しるべ ターニング・ポイント』 人は誰しも人生の中で大きな岐路を迎えるもの。もしかしたら日々がターニング・ポイントの 連続かもしれません。その時道しるべとなるのは、心のなかの光。静かにいたわりをもって 自分と向き合う時、心の光はともされます。この音楽が、あなたの輝く日々をサポートできる ことを願っています。 2006/03/13(月) 失われる精神性 先日、新聞に「失われる精神性」という大見出しの記事が取り上げられていました。その記事に関心を持った理由は、葬儀の時に使用される「宮型車」といわれる霊柩車が題材になっていたからです。宮型車は、あの形からいかにも葬儀の時の車ということであまり評判が芳しくなく、最近は新型車に取って代わられ、ほとんど使われなくなってきているそうです。そのうちの何台かはモンゴルに持っていかれ、彼の地で大いに活躍しているとのことです。日本独特の習俗を守りつつ西洋の文化を取り入れて作られた、日本的発想のユニークな産物であるにもかかわらず、今敬遠されて無くなりつつあることについて、「何事にも通じることだが、自分の都合や流行、経済性ばかりが優先されて、あるべき姿や精神性がその意味も問われずに失われていく」と書き表されていました。 この文章を読み、確かに何事にも通じていることであり、レイキについても言えることだと思いました。レイキは日本発祥ですが、海外に渡ってREIKIとして広く普及し、それが日本に逆上陸してきました。その後、現在に至るまで日本国内でもかなり普及しましたが、本来伝えられていた精神性の部分が欠如していることが、多く目につきます。特に最近では、まさしく自分の都合や経済性が優先され、正しく伝えられなければならないはずの精神性が失われてしまっています。 受け継ぐべきもの(こと)は受け継ぎ、伝えるべきこと(もの)はきちんと伝える、そのことにこそ意味があるのではないかと思います。なぜなら、その意味を理解できているからこそ受け継ぎ、また伝えていくこともできるのではないでしょうか。 2006/03/08(水) 春を求めて 早春の訪れを楽しみに行こうと思いながらも、時間が取れそうな時は天気があまりよくなく、晴天で暖かい日は出かけることができませんでしたが、やっと今日、日中の暖かな時間帯にわずかな時間を使って、百草園まで行ってきました。 蝋梅やマンサクは既に疲れきった姿を見せていましたが、紅白の梅が咲き競っていました。福寿草は一株がとても大きく、見事にたくさんの花をつけていました。昨年はちょっと寂しげに咲いていた福寿草でしたが、今年はきっと賑やかで楽しいことでしょう。 園内を歩いていると、数人の人たちが立ち止まって斜面を見ながら何か言っている場面に出会いました。<なんだろう?>と、ふと足を止めてその方向を見てみると、カエルがノッソリ、ノッソリと斜面から下りてきて、まるで「そこのけそこのけ、カエル様が通る」とばかりに、道を横切っていました。寒暖の差はまだまだあるものの、今日の暖かな陽気に誘われて、冬眠から覚めたカエルが這い出してきたのでしょうか。一昨日は啓蟄でしたから、さもありなんといったところでしょう。なんとものどかな光景を目にすることができました。 2006/03/06(月) 啓蟄 今日は、二十四節気の一、啓蟄。冬ごもりをしていた虫が穴から出てくるころと言われますが、ほんとうに春の暖かな陽気に誘われて、虫が穴から出てくるのではないかと思うような一日でした。気温は16〜17度。関東では春一番も吹き、まさしく春の訪れ。陽気に誘われて虫が出てきたのか、それとも風を避けて穴の中でじっとしていたのか・・・。どちらでしょうね。 2006/03/05(日) NPO現代レイキの会主催の交流会 NPO現代レイキの会主催の交流会が目黒さつき会館にて開催されました。子どもさんも含め、参加者は100名。新規参加者も多くなり、回を重ねるにつれてよい波動の場が醸成され、とてもよい雰囲気の中で楽しんでいただけたようです。主催者側として終始あれこれと裏方で動きまわっていた私も、たっぷりレイキ浴をすることができました。やはり多数の人が集まる交流会は圧巻です。今回参加できなかった方も、次回は是非参加してみて下さい。 2006/03/01(水) 3月 弥生(やよい) 弥生の由来は、草木が弥生(いやおい)=いよいよ茂る月という意味ですが、花月(かげつ)、嘉月(かげつ)、花見月 (はなみづき)、夢見月(ゆめみつき)、桜月(さくらづき)、暮春(ぼしゅん)等の別名もあります。 春の訪れを伝えてくれる河津桜が既に満開となったそうですが、3月に入った今日はあいにくの冷たい雨。そう言えば、1昨年の3/1も小雪が舞う寒い日でした。まだまだ「名のみの春」ですね。 ** 今月のらくがきindexより ** あなたは、いつも他者の話をどのようにきいていますか? どちらかというと、何気なく聞いているということが案外多いのではないでしょうか。なかには、他者の話を聞こうともせずにすぐ遮って、自分のことばかり話すという人も多いようです。 「聞く」は、音や声を耳で感じとる、あるいは耳に感じて知るといった意味合いですが、どちらかというと話(ことば)の表面だけを捉える、文字で言えば字面だけを追うといったところでしょうか。それに対して「聴く」は、心を落ち着け注意して耳に入れる、心を傾けて聴くという意味合いがあります。つまり、傾聴するということです。同じ話をきいても、自分がどのような気持ちで聴くかによって、受け取り方・感じ方はずいぶん違ってきます。それほど、「聞く」と「聴く」では大きな違いがあります。 「あの人は、聞いているのかどうかわからない」「聞く気があるのかしら」などということばをよく耳にすることがありますが、それとは反対に、「聞き上手」ということばもよく耳にします。聞き上手と言われる人は、きっと「聴き上手」なのでしょう。 他者の話をきく時は、心を傾けて、心の耳で、聴いてみませんか。ことばにならないことばが聴こえてくるようになるかも知れません。 |
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