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2006/11月
       新しいことを始めようと思っても
       最初の一歩が踏み出せない。

       何かに取り組んでも
       どうしてもうまくいかない。
そんな時、
自分の心の中をのぞいてみよう。

心配、不安、恐れ・・・といった
心のブレーキがかかっていませんか。
ブレーキをはずして、
とにかく動いてみよう。

2006/11/27(月)  新聞記事より

 今日の読売新聞朝刊には興味深い記事が幾つかあり、そのうちの一つは、「スピリチュアル」「スピリチュアリティ」について書かれていました。いまやスピリチュアルブームですが、以下は記事の要約です。
                               * * * * *
 スピリチュアル・カウンセラーでお馴染みの江原啓之さんは、歌手美輪明宏さんとレギュラー番組「オーラの泉」をもつ。江原さんの信奉者は「エハラー」と呼ばれ、その多くの支持者は、江原さんの教えに引きつけられているという。
その江原さんが、「本当のことをいえば、霊視でどんなオーラがみえるかなんてどうでもいい。世間ではとかく霊視といった不思議な現象に注目しがちだが、それはあくまでもデモンストレーション。そんな能力などなくても霊的真理は追究できる」と語る。
 これに対し、一連の現象を突き放した見方もある。スピリチュアリズムには一度忘却された過去もあり、今回もまた一時的なブームとして消え去るのではないか・・・と。
 霊魂や霊界の存在を前提とするスピリチュアリズムが人々の間に浸透し続けていくかどうかは未知数だが、注目すべきは、必ずしも霊魂を前提としない「スピリチュアリティ」を語る運動も、着実な広がりをみせているという事実もあるという。
 例えば、トランスパーソナル心理学では、「スピリチュアル=霊能というイメージで捉えられては困るが」という前置きをしつつ、「人間は、なぜ生れてきたか、と自らに問いかけざるを得ない存在だが、既成宗教の弱まった今、私たちは生きる意味を自分自身で作っていかねばならない。いわば魂の自己探求が必要な時代であり、そこでスピリチュアリティが重要になってくるのは必然ではないか」
                              * * * * *
 周囲を見渡してみると、「オーラが見える」「相手の何かが見える、わかる」といった現象面だけに捉われ、見えるからといって得意になり、さらには「あなたは、ああだ、こうだ」と、自分に見えた?現象のみを相手に伝え、フォローするどころか、ただただ不安に陥れるだけという無責任な言動を耳にすることがあります。正直のところ、「見えたからどうなの?」「わかるからどうなの?」と思うところですが、何らかの現象を相手に伝えた以上は、決して相手を不安な状態に置き去りにしないよう、アドバイスなりフォローなりしていくことが大事かと思います。
 江原さんの人気のもとは、きちんとフォローするところではないでしょうか。


 2つ目は、「言葉の力」についての中学校教諭の記事です。
                              * * * * *
 怖い言葉を使っている子どもたちに、道徳の時間「言葉の力」について考えさせた。まず、紙に自分の顔を描かせると、毎日鏡で見ているはずの自分の顔が描けない。「鏡の中の、何を見ているんだろう」と問いかけると、「なんか自分に話しかけてるかも。自分との会話」という答えが返ってきた。「その自分に向かって『バカ』 『キモい』 『死ね』とか言ってる?」 「言うわけないじゃん」 「じゃあ、どうして人には言うの?」
 自分自身には向けない嫌な言葉を、人に対して平気で使っていることに、子どもたちは気づいた。「温かい心から温かい言葉、優しい心から優しい言葉。人を励ましたり、人を大切にしたりする言葉を使っていると、そういう人になるんだよ」 子どもたちの言葉が、少し優しくなった。
 「『人の言ば』は『信じる』という字になるでしょう。あなたが語ったその言葉を、自分が一番そばで聞いているよ」
                              * * * * *
 言葉は、良くも悪くも大きなエネルギーを持っています。ネガティブな言葉も、ポジティブな言葉も、そのままそっくり自分自身に跳ね返ってきます。22日のところで書いたような、わが身を振り返ることもなく感情的に発したネガティブな言葉も、数倍にも数百倍にもなって戻ってきます。
 言葉は人を励ましたり慰めたりもしますが、凶器となって人の心を大きく傷つけることもあります。自分が発したその言葉を、一番近くで、最初に聞くのは自分自身です。


2006/11/22(水)  わが身を振り返る

 以前にも「思い込み」について書いたことがありますが、もう一度書きます。
 他人の表面だけ、それもある一面だけを見て、「この人はこういう人だ」と決め付けてしまうことがよくあります。ある一面がその人の全てを語る、という考え方もあるかも知れませんが、ちょっとした何かを、出来事を見て、これがその人の全てだという思い込みをしてしまうことの方が多いようです。また、他人と話をしている時、ことばの一部分に反応してその後の話をよく聞かず、自分に都合のよい(あるいは悪い)思い込みで、相手を判断・評価することもよくあることです。その思い込みで、「あなたは・・・こうだ」と相手を攻撃したり誹謗したりという行動を取ります。こんな時は、何か言っても全く聞く耳を持たず、自分が思い込みをしていることにさえ気づかずに、頑なに、いかに自分が正しいかを主張し続けます。
 こういったことは、誰にでもよくありがちなことです。ですから、相手のことで何かを感じた時は、逆の立場で自分に置き換えてみることが大事だと思います。相手に対して攻撃的に誹謗・中傷した言葉が、案外そのままそっくり自分に当てはまるということがあります。
 ひとは他人の心の内は見ようとせず、また思いやろうともせずに、表面的なことや言葉尻だけを捉えて、まるで鬼の首を取ったかのように振舞ってしまいます。自分自身はどうであるかということには、なかなか気が回りません。
 自分に都合のよい思い込みや感情に支配されたネガティブな言葉を発信する前に、まず我が身はどうであったかと振り返ってみることがいかに大切であるかを、最近つくづく思うところです。


2006/11/07(火)  立冬

 10月は記録的な暑さが続いていたため、本格的な秋の訪れはまだまだ先のような感じがし、晩秋という言葉さえ忘れていましたが、気がつけばいつの間にか立冬です。立冬の今日、朝から風は強かったもののぽかぽか陽気で、大変気持ちのよい一日でした。こんな日は紅葉でも見に出かけたら気持ちがよいだろうなと思いながら紅葉情報を見てみると、そろそろ紅葉が楽しめそうです。
 子どものころは、もみじの葉やイチョウの葉、その他色とりどりの葉や木の実を拾い集め、思いのままにオブジェのようなものを作って遊びました。こうした遊びの中には、自然の中で遊べること、友達ときれいな色の葉や実を競って拾い集めること、それらの葉や木の実を使ってどのようなものを作るか考えること、そして出来上がったものをみんなで見せ合うことなど、楽しいことがいっぱいでした。
 こうした思い出があるためか、きれいに色付いた落ち葉があると、ついつい拾い集めてしまいます。1枚の落ち葉からもいろいろな楽しみ方ができますので、ちょっと子ども心にかえって落ち葉遊びを楽しんでみてはいかがでしょう。


2006/11/01(水)  秋の日はつるべ落とし=人生?

 午後3時を過ぎると、もう夕刻のような陽ざしになり、あっという間に陽が沈んでしまいます。“秋の日はつるべ落とし”とは、よく言ったものです。時々、人生もこんなものかな・・・と、ふと思ったりしています。そうであれば、太陽が出ている間(生きている間)を“いかに生きるか”ということが、重要になってくるのではないかと思います。いつも言うことですが、同じ人生を生きるのであれば、暗く退屈な日々を過ごすより、たとえ苦労が伴っても、明るく楽しい人生を送るほうがよいのではないでしょうか。
 人の一生においては、自分が好むと好まざるとに関係なく、いろいろな出来事が起ります。できることなら避けて通りたい道を歩まなければならないこともあります。しかし、それらが目の前に立ちはだかった時、自分がどのように受け取り、どのように対処していくか、そこが重要ではないかと思います。
 すべて、自分の意識次第でどのようにでも変っていきます。


** 今月のらくがきindexより **
 新しいことを始める時、なかなか初めの一歩が踏み出せないことがあります。また、やっと一歩を踏み出したものの、その後が自分の思う通りに物事が進まないということもあります。そんな時、ややもすると「あの人がこうだから・・・」とか、「これのせいで・・・」と言ったように、他人のせいにすることがあります。初めの一歩が踏み出せない、物事がうまく進まない・・・のは、自分以外の誰かが、何かが原因となっているのでしょうか。
 このような時、ちょっと自分の心の中を覗いてみて下さい。心配、不安、恐れといった心のブレーキがかかっていませんか。新しいことを始める時、心配、不安、恐れといったような思いを抱くことは誰にでもあります。しかし、それが度を越すと、何もできなくなってしまいます。とにかく、自分の目標に向かって動いてみることです。後は、天に任せるのみ・・・でしょうか?


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