ホームらくがき>2006/10月
2006/10月
    あなたは
    今日一日をどのように過ごしましたか。

    過ぎ去ったことを考えてくよくよしたり、
    まだ起きてもいないことを心配したり、
    何となく惰性で過ごしてはいませんでしたか。

    今日という日も 明日になれば過去となり、
    今日という日の積み重ねが未来にも繋がります。
   過去にしがみついたり
   未来に不安を抱いたりするのではなく、
   今日という日を、
   今、この一瞬を大切に過ごしましょう。

2006/10/30(月)  歌集作り

 30余年に渡り、短歌や俳句、川柳などを嗜んできた実家の母の歌集を作るべく、仕事の合間を縫って入力・編集・校正作業をしています。2年ほど前に取り掛かり始めた作業ですが、私自身の忙しさから中断してしまい、母は口にこそ出しませんでしたが、いつ完成するかと心待ちにしていたようです。そんな母の思いが伝わってきて、今年こそは何とか形にしたい・・・と、再度取り掛かり始めました。
 母にとっての短歌や俳句は、いわば母の歴史、自分史でもあります。家族や遠く離れたきょうだい、遠い思い出、日常のことなどが折にふれ綴られており、その歌を一つ一つ味わいながら入力していると、大変時間がかかってしまいます。しかし、母の歴史を辿るかのように作業を続けていると、その歌に纏わる背景が走馬灯のように浮かんできて、その当時は辛かったことが、とても懐かしく感じられました。親から見れば、子供はいくつになっても子供であり、遠く離れていても悲喜交々一緒に味わってきていたことが歌から切々と伝わってきて、母親の子どもに対する愛情をあらためて思い知ることができました。
 何とか早く形にしてあげたい・・・と思うのですが、公私共に予定が山積み。いつになったら喜ぶ顔を見ることができるのか・・・。


2006/10/25(水)  内面と向き合うために

 最近、座禅や写経などを体験する“プチ修行”が静かなブームを呼んでいるそうです。山里にたたずむ寺で、墨染めの衣をまとい、写仏で雑念を払い、読経で無心となる。本当に自分らしい人生を送れているのかどうか、自分の内面と向き合う。ある参加者は、「過去を振り返らず、今を大切に」という法話が胸に響いたそうです。このような修行は、かつては中高年がが中心だったようですが、ここ数年は若い女性の予約が相次いでいるとか。「若者はなぜ、寺に向かうのか」と問うていましたが、何よりも心のよりどころを求めているのではないかと思います。
 「自分の内面と向き合う」ということは、セミナーやカウンセリング等を通して、あるいは常日頃の何気ない会話の中で私たちもよく言っていることです。そして、自分自身では当たり前のようにやっていることなのですが、これが案外難しいらしく、どうしても蓋をしてしまったり、避けて通っていく人が多いようです。毎日の生活の中で、ごく普通にできるはずの「自分の内面と向き合う」ことが、なぜ当たり前にできなくなってしまったのでょう?
 
2006/10/12(木)  部分だけでなく全体を見る

 今日は所用のついでに、水彩画展に足を向けてみました。チェコ共和国の首都プラハなどの世界遺産となっている建物やその周辺などが描かれており、絵に関しては全く無知な私ですが、彩色を見て気づいたことがありました。どの画を見ても、彩色していない部分があるにもかかわらず、画によっては他の色を引き立て、また調和し、まるで全体を彩色してあるかのように見えました。これらの画を見ながら、月初に書いた「一つの作品を作るには、1本の枝だけを見ないでその奥行も考えながら自然に活ける」ということばを思い出しました。
 花を活ける時は手にしたその枝だけに、絵を描く時はその部分だけに意識が向かいがちですが、全体に調和が取れた状態ということでは「心と体と魂」というひとりの人間を見る場合と同じであるなと思いました。
 

2006/10/09(月・祝)  笑いのある生活

 5、6日は大型低気圧による大雨と風のため、6日の中秋の名月を楽しむことはできませんでしたが、7日夕方は大きな満月を愛でることができました。また、7日昼ごろベランダに出て何気なく太陽を見上げると、雲間から顔を出していた太陽の光のスペクトルがとてもきれいでした。ほんの一瞬でしたが、ものすごく珍しいものを見たような気分でした。
 低気圧が去った後の7日は橋本、8日は池袋での定例の交流会でした。大雨後の快晴という天気同様、皆の心も晴々としていたのか、楽しく会が進行し、その後の懇親会はおおいに盛り上がりました。みんなで本音で話し、それを受け止め、みんなで笑いあうことができる時間は、大変貴重なものと感じました。笑いがあるっていいことですね。

 今日の新聞に、ある小学校では毎朝クラス全員でワッハッハと笑う、笑いの練習という時間をとっているという記事が紹介されていました。その日によっては笑えない子どももおり、先生はその子どもを気をつけてみているとか。 「笑いのある家庭に非行は存在しない」という標語か何かあったような気がしますが、学校で教師が努力するだけでなく、家庭でもいつも笑いが絶えないというのは、ほんとうによいことだと思います。


2006/10/03(火)  子は親を写す鏡

 9月中にNPOの会報誌を発行すべく、原稿依頼、編集、校正等を通常の仕事の合間を縫って行っていましたが、なかなか予定通りには進まず、やっと今日印刷が上がり、すぐに封筒詰めをして会員の皆さんに発送しました。早い方は、明日には手元に届くことと思います。本印刷を除くと全て家内工業を行っているようで、メール便で送り出した後はホッと一息ついた感じです。

 今日、久しぶりに相田みつをさんの書を目にし、子供が小さかった頃を思い出しました。ちょっと紹介しましょう。

       『アノネ』
   親は子供をみているつもりだけれど
   子供はその親をみているんだな
   親よりも
   きれいな よごれない眼でね

 お子さんのいらっしゃる方は遊んでいる時の様子を見て、ハッとすることが一度や二度はあったのではないかと思います。していること、言っていること、その言い方もそっくりではありませんか。<えっ、私ってあんな言い方をしていたの? あんなふうにしていたっけ?>などと。
 親は子どもの鏡といいますが、子は親を写す鏡でもあります。子どもを見て、その子どもから学ぶべきことがたくさんありそうですね。


2006/10/01(日)  芸術を通して心の目(眼)・耳を豊かに

 「秋」ということばから思い浮かぶのは、芸術の秋・読書の秋・スポーツの秋・行楽の秋・食欲の秋・・・。そして、これらに纏わるさまざまなことばが連想できますが、要するに、何をするにもよい季節ということでしょうね。
 どれをとっても年間を通していつでも親しむことはできますが、忙しいとついついどれも忘れてしまいがちです。去年からは通常の仕事にNPOの雑務が加わり、繁雑な日々を過ごしていますが、わずかな時間でもなるべく自分自身を解放するよう心がけ、ミュージカル、舞台、音楽会などに多く触れるようにしています。忙しい時こそ心を豊かにし、ものごとを見る目が曇らないようにしていきたいと思っています。
 
 今日はコンサートに行きましたが、途中、指揮者がベートーベンの交響曲第6番ヘ長調作品68≪田園≫についての説明をしました。その中で印象に残ったのは「音符はただ書かれているだけのようだが、その音符には、いろいろな情景が描かれている」というようなことばでした。確かにそうです。そのことを理解した上で演奏を聴いていると、その時の情景が手に取るように次々と浮かんできて、ただ耳だけで聞くのではなく、まさに体全体で、五感で聴いているといった感じでした。
 音楽史上には、偉大な音楽家が数多くの素晴らしい曲をたくさん残しています。現代においては有名な指揮者や奏者はたくさんいますが、後世に名を残す作曲家がいるのだろうかと、ふと思いました。

 ところで、 「芸術ってなあに?」と聞かれたら、なんて答えたらよいのだろうかと考えてみました。音楽、美術といったような言葉で表すには単純すぎますし、一言で表現するには案外難しいことに気がつきました。しかし、今朝新聞を読んでいて<なるほど!>と思った記事がありました。
 女優の左時枝さんが母親について書いた記事でした。左さんの母親は、富山県で100人以上のお弟子さんを持つ華道家だったそうですが、その頃何度も「一つの作品を作るには、一本の枝だけを見るのではなく、奥行きを考えて自然に活けなさい」と言っていたそうです。ある時左さんが「お母さんにとって芸術って何?」と聞くと、何も構えず、すんなりと「芸術って、真心よ」と答えたそうです。
 「真心」・・・そう、このことばは、私がとても大切にしていることばです。「まごころ」とも「まことのこころ」とも読めます。何事にも、何者(物)にも、真心を持って向き合うことの大切さは子どものころからずっと感じていることであり、今も大切にしています。どのようなことにも真心をもって向き合うと、目の前にあるものだけではなく、その奥にある(隠れている)ものも感じ取ることができます。これはコンサートで指揮者が話された言葉と同様だと思います。

 生け花、音符などは、小説のようにことばとしてその背景や情景が語られていませんが、必ずそこには(目に見えない)何らかの情景が描かれています。それを見たり聴いたりすることができると、芸術の楽しみ方にも深みが増すのではないかと思います。


** 今月のらくがきindexより **
 「過去に縛られずに、今日という日を大切に生きよう」と頭では理解していても、どうしても過去のことに捉われて、前向きに生きていくことができない人がいます。そうかと思うと、これから先のことが心配で、不安で、どうにも落ち着かないという人もいます。どちらも、過去にしがみついたり未来に対する不安で、今現在が見えなくなってしまっています。
 こんなことがありました。父親を亡くした10歳の少年が、「お父さんは、僕たちが明るく元気に過ごすことを一番喜んでくれるよね」と、悲しみに捉われるのではなく、前向きに生きていくことが父親の供養にもなり、自分たちにとっても大切なことであると気がついて母親に告げました。その言葉を聞いた母親は、一瞬忘れそうになっていた大切なことを、子どもから教えられたような気がしました。
 人それぞれに形は違いますが、誰にでも辛い過去はあります。その過去にしがみついて、誰かが自分のことをわかってくれないからと恨んでみたり、人に頼ってみたりしても、何の解決にもなりません。
 今日一日を、今という瞬間を、楽しく大切に生きていくことこそが、明るい未来へと繋がっていきます。


ホームらくがき>2006/10月