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2006/1月
       新しい年の始まり

         この年を あなたは
         あなたの心のキャンパスに
         どのように描いていきますか。

         明るい色で描くのも
         暗い色で描くのも
         すべて あなたの心次第です。
心は
あなたの思いのままに
操ることができます。

心のキャンパスに
いきいきとした絵が描かれますように・・・。

2006/01/29(日) 本質を見失わない

 人は、物事の表面だけを見て、何らかの結果だけを見て、あるいは文章の字面だけを追って、自分の都合のよいように、勝手に判断・評価するといったことが多々あります。つまり、目の前のこと・目の前のものだけに囚われて一喜一憂し、物事の本質を、真実を見る目を失くしてしまっているのです。これは何を伝えようとしているのだろうか、この文章の行間には、どのような意味が込められているのだろうか、この人は何を訴えようとしているのだろうか、といったような、見えない部分を見ようとしない、聞こうとしない傾向があります。
 例えどのようなことがあっても、どのような状況に置かれても、芯は揺るがずに、物事の本質を見失わずに見極め、振り回されることなく、日々の生活を送っていくことができるような精神力を身につけていきたいものです。

2006/01/26(木) 道徳教育はどこで?

 昨日、所用で出かけた時のことです。友人と話をしながら歩いていましたが、とてもタバコの匂いが気になりました。家族にタバコを吸う人がいないと、歩いていても、家の中にいても外から入ってくるタバコの匂いに敏感になっています。前を歩いている女子高生らしき2人の手もとを見ると、2人とも指にタバコを挟んでいました。吸っては煙を吐き出し、吸っては煙を吐き出し、吸っていない時はタバコの火を外側に向けて歩いていました。<危ないな〜。小さい子供にでも触れたら、火傷をしてしまう>と思っていると、友人もやはり気になったらしく「歩きタバコはやめてほしいわ。それに、まだタバコをすってよい歳ではないでしょうに」と。前からお孫さん?を連れた年配の女性が歩いてきました。すれ違いざまに「危ないわね〜」 という言葉が聞こえました。すると、女子高生は「うっせえな、ばばあ。だからばばあはいやなんだよ」と捨て台詞をするなりタバコを路上に放り投げ、コンビニに入っていきました。友人と私は、言葉もなく顔を見合わせました。
 最近、いろいろな事件が起きるたびに道徳心の欠如と学校現場での道徳教育について論議されますが、道徳教育は学校でのみ行われるものでしょうか。就学以前には家庭で、幼稚園・保育園で、そして学校で、さらには地域社会で、全体が一つとなって日々の生活の中で行うものではないでしょうか。以前ならちょっと声をかけて注意できたことも、今は見てみぬふりをすることが多くなってしまいました。
事の善悪をはっきり言える社会に戻ってほしいと思うのは私だけでしょうか。


2006/01/18(水) 夢中になれるもの

 あなたは子どものころ、夢中になれる何かがありましたか? 夢中になれる何かを持っていましたか? きっと、人それぞれに何らかの思い出を持っていることでしょう。

 いつもアイちゃんのことになりますが、アイちゃんは何事にも興味津々で、いろんなことに夢中になって取り組んでいます。宇宙のこと、科学のこと、カブトムシやクワガタのこと、火山のこと・・・。とにかく夢中で本を読み、インターネットで調べています。きっと、学校の授業より楽しんでやっているのでしょう。
  「ねえ、問題を言うから答えて!」
  「ええ〜!わからないよ」
自分が本で読んだり調べたことをしっかり覚えていて、私たちに問題を出したり、わからないことや疑問に思うことは質問してくるのです。
  「アイちゃんは将来何になりたいの?」
  「科学者!」
即座に返ってきました。
 理系のことだけに興味をもっているのかというと、そうではありません。アルファベットで数を覚えてみたり、漢和辞典やネット辞書を使って画数の多い感じを調べたり・・・。
  「ねえ、ねえ、この漢和辞典には33画までしか載っていないけど、79画とか84画の字もあるんだよ」
  「へえ〜、そうなんだ? 見たことも書いたこともないけど、どんな字なの?」
  「こういう字だけど、いくら数えても84画にならないよ」
  「どれどれ、ん? ちゃんと84画になったよ。もう一度書くからよく見ていてね」
  「ああっ、ほんとうだ!どうして僕が書くと84画にならないんだ?」
一緒に画数の多い漢字、難しい漢字の勉強をすることになってしまいました。改めて漢字を見ていくと、日常生活の中で、これまでの人生で、書いたことはもちろん、見たこともない漢字がいかに多いかがわかりました。
 アイちゃんが一所懸命なのは、このような学習ばかりではありませんでした。凧揚げではどうしたら高く上げられるか、ヨウヨウはどうすれば長く続けられるか、剣玉はどのように扱えば続けて全部に乗せられるかなどを自分なりに考え、工夫しているのです。「できないからあきらめる」のではなく、できないと悔しくて涙を流しながらやっているのです。
 これは私のことだけかも知れませんが、何事においても、興味を持っても最後まで追究する、探求するということをしなかったものがいかに多いかを思い知らされた感じです。探究心、追究心は、いくつになっても持ち続けたいものだと痛感しました。

 人が夢中になれるものを持った時、やりがいというものがその人自身を大きく成長させるといいますが、そのことをアイちゃんから改めて教えられました。しかし、アイちゃんが楽しみながら夢中になってやれるもの、やれることは、画一化された学校教育の中でいつまで続くのかとふと思いました。
 多くの規格化された人間を作り出すのではなく、伸びる芽は摘まずに伸ばして心豊かな人間として成長していった時、この社会はどのように変わっていくのでしょう。


2006/01/10(日) 失敗から得た気づき

 地域によって違いがありますが、この辺の小学校は今日が3学期の始業式。午前中で終えたアイちゃんが、誰もいない自分の家に帰るのではなく、我が家に帰ってきました。「今日は最悪。3学期が始まった1日目に日記の宿題があるんだ。今日はK君と遊ぶ約束をしたのに・・・」「それなら、K君と遊んだことを書けばいいんじゃないの」「あっ、そうか」 アイちゃんは、昼食をとるのももどかしい様子でしたが、食事が終わると元気に出かけて行きました。
 約束の4時に帰って来ました。「公園で遊んでいたの?」「寿公園で集合って言ったと思ったのに、K君いなかったんだ」「じゃあ、どうしたの?」「K君の家に行ったらいた。寿公園で集合って、ちゃんと言わなかったかな?ただ聞いただけだと思ったのかな?よく確かめなかったからいけなかったのかな?今度約束する時は、ちゃんと寿公園で待ち合わせをしようねって、確認しなきゃ。そうだ、日記にこのことを書こう!」 アイちゃんは日記に友達と遊んだ内容について書くものとばかり思っていましたが、意外にも自分の失敗をテーマに書いたのでした。
 アイちゃんは友達との遊びの約束を通して、しっかりと学習をしたようです。ただ失敗したということだけでなく、次にはどうしたらよいかという気づきがあったのです。<なかなかやるじゃないの。なんでも体験から得たことは忘れないんだよ>


2006/01/01(日) 新しい年の始まり

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 2006年の新しい年を、皆様はどのようにお迎えになりましたか。今年も皆様が自分らしく、いきいきと光り輝いて過ごされますことを心から願っております。

 * 今月のらくがきindexより *
 いつも笑顔でいられるのも、苦虫を噛み潰したような顔をしているのも、また光り輝いていられるのも、しょんぼりとしているのも、全て自分の心次第です。心は自分の感情に支配されやすく、喜怒哀楽を思いのままに映し出すことができます。思いのままに操ることができます。それだけに、感情に流されることなく冷静に、客観的に自分をみつめていくことが大事です。
 今日一日を、1週間を、1ヶ月を、1年を、明るく楽しく生きていくことができるかどうかは、全てあなたの心一つで決まってきます。どうぞ今年も素晴らしい年でありますように・・・。


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