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| 幸せって 何? 幸せって 探しにいくもの? 幸せって つかまえるもの? まるで鳥みたい。 幸せって 心で感じるものではないの? |
苦しいこと 辛いことがあるからこそ 些細なことにも 幸せを感じるのでは? 「幸せになりたい」というのは そうでない自分が存在することになる。 だから 日々の生活の中で 「幸せだ」と感じられる生き方をしてほしい。 |
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2005/12/30(金) 心の目、認める勇気 今年も様々な出来事がありました。世の中を明るくし、幸せ感を伝えてくれるもの、天災、人災・・・などなど。その中で、天災は私たちの力ではどうすることもできませんが、人災は「なぜ?」と首を傾げたくなるような出来事が<これでもか>というくらいたくさんありました。 今年の世相を一文字で表すと『愛』ということだそうですが、この1年間の世の中を振り返ってみると、愛ということばとは程遠いような出来事が多く、愛は次の年への希望というようにも解釈できます。大変難しいことかも知れませんが、特定のもの、特定の人にのみ向かう愛ではなく、全てをいかすことができる愛であったなら、尊い生命が 平気で奪われるようなことはないでしょう。愛というのは、全てのものの命を大切に考えるところから生まれてくるのではないでしょうか。 今年も公私において、幼い子どもから高齢の方までたくさんの方々とお会いし、年齢に関係なく様々なことを学ばせていただきました。その中で特筆すべきことは、「本質を見極める」ことがいかに大切であり、また難しいことであるかということです。人や物事のある一面だけ、一部分だけを見て、あるいは字面だけを読み、その反対側に隠れた部分、隠された意味、言い換えれば見えない部分を読み取ることなく、安易にそれがその人の全て、そのものの全てであるかのように批評や批判をする人がいかに多いことでしょう。また、ものごとの本質あるいは真実を見極めることなく、不確かな情報や甘い言葉に踊らされたり足を踏み込んだりするような状況を目にすることも多々ありました。このように書きながらふと思ったのですが、人にも物にもいろいろな面があることや真実をほんとうはわかっていながら、自分の都合のよいように解釈したいためにわからないふり、見えないふりをしているだけなのかも知れません。真実を、別の面があることを認めたくないだけなのかも知れません。 人は、他者から見えるある一面だけでなく、いろいろな面を持っています。ものごとにおいても、ある一面だけでなく、360度の各方向から見ることができます。必要に応じて、ものごとの本質、真実、見えない部分を見る(読み取る)ことができるよう心の目が曇らないように磨き、認める勇気を持ちたいものです。 >2005/12/22(木) 寒波と冬至 12月に入ってから寒い日が続いていますが、冬至の今日、日本列島は強い冬型の気圧配置のため西日本から東日本にかけて広範囲で大雪となりました。この辺はいくらか風があり、時々黒い雲に太陽が隠れると寒かったのですが、室内にいると寒波という言葉もピンときませんでした。しかし、鹿児島では88年ぶりの積雪ということで、年配の方でも生まれて初めて雪を見た人もあるようです。新潟県では風雪のため一時65万戸が停電となり、新幹線や在来線は止まり、病院や信号機、銀行のATMなど市民生活にも大きな影響が出て、昨年の中越地震の時を上回る停電だったとのことです。 今冬も暖冬予報だったため安心していた人も多いのではないかと思いますが、実は「20年ぶりに寒い冬となり、雪の多さも20年ぶりになる恐れもある」とのこと。<20年ぶり? ああ、あの年以来か・・・>と、自分だけがわかる変な納得をしています。しかし、雪国の大雪というのは、10cmや20cmの積雪で大騒ぎをしている都会人には、おそらく想像もつかないであろう苦労が伴います。などと言えるのも、私自身一時期新潟で、かなりの大雪の経験をしているからです。新潟を離れた当初は雪が懐かしかったのですが、年齢を増すとともに<もうあの思いを繰り返したくない>という気持ちのほうが強くなっています。 ところで、今日は冬至。一年中で昼が一番短く、夜が一番長い日です。冬至には、「ゆず湯」に入り、「冬至かぼちゃ」を食べる風習があります。 「ゆず湯」は、厳しい寒さの中でも健康に暮らせるようにと、柚子を入れたお風呂に入ります。ゆず湯は、風邪を防ぎ、皮膚を強くするという効果もあります。冬至は湯につかって病を治す「湯治(とうじ)」にかけているそうです。また、柚子は融通が利くようにという願いが込められ、江戸庶民から生まれたとのことです。 「かぼちゃ」は、厄除けになる、病気にならないと言われています。実際に、かぼちゃにはカロチンやビタミンが多く含まれています。冬にビタミンなどの供給源が不足した時代はかぼちゃは貴重なものだったといえます。 我が家では、例年通り柚子とかぼちゃをしっかりと食しました。今年は柚子が不作だったそうですが、姉から例年通りたくさん届きましたので、贅沢にもこれまたいつも通りたっぷりと味わうことができました。 2005/12/12(月) 今年の「レイキを楽しむ会」終了 12月に入ってから、毎日「この冬一番の寒さ」と言われながら日々が過ぎています。その寒さの中、一昨日は橋本、そして昨日は池袋での2,005年最後のヒーリング実習会とレイキを楽しむ会を行いました。年末、そして風邪などのため、毎月参加している方の不参加もありましたが、久しぶりに顔を出してくださったマスターもいて、和気あいあいとした中で実習会、レイキを楽しむ会を終了しました。終了後は、アルコール消毒で1年の締めくくりをしました。 新年は、1月15日(日)橋本、1月22日(日池袋)で開催いたします。 2005/12/06(火) ウォームビズ → 風邪 12月に入ってから、あちこちで初雪が降るなど冬らしい寒さが続いています。我が家から見える大山も、今日は上のほうが白くなっていました。空気が冷たいせいか空は青く、吸い込まれそうでした。 この冬は、夏の「クールビズ」に続き「ウォームビズ」を実践している人が多いということですが、それが思わぬ弊害をもたらしているようです。家庭や会社では室温を低めに設定しているため、それに見合った服装をして出かけます。ところが、電車内は暑いのでコートを脱ぎたいと思っても、混雑のため脱ぐことができません。我慢して着ていると、汗びっしょり・・・。デパートなども同様です。汗びっしょりの状態で外に出ると、今度はヒンヤリ。結局、風邪を引いてしまいます。最近はラッシュ時間帯での通勤がありませんので他人事のようですが、どのような状態にでも対応できるよう自己管理するしかないようです。とは言え、それもなかなか難しいことですね。 ずいぶん風邪が流行っているようです。皆さん、しっかりと健康管理をいたしましょう。 2005/12/04(日) 手のひら 先日の読売新聞編集手帳欄に、「人の手は小さな道具である」という言葉が書かれていました。石川啄木の手からは数々の歌が紡がれ万人の心をつかんだように、小さな道具が途方もなく大きなものを握ることもある。が、ある業界人の手がわしづかみにしたものは、最悪の場合には何百にものぼろうかという人命であり、「よごれたる手」はこの業界人だけではない、という内容でした。 人の手・手のひらからは、どのようにしてあのような素晴らしいものができるのだろう?と驚くほど数え切れないいろいろなものが作り(創り)出されます。まさしく小さな道具という言葉がぴったりです。手のひらは、何かを作り出す、生みだ出すだけの道具ではありません。手のひらをそっと人に当てた時、相手に安心感を与えます。当てられた人は、安心感を得られます。言葉を交わさなくても相手の心の奥深くに、また身体にも働きかける力をもっています。人は本来、誰もがこのような素晴らしい手・手のひらを持っていたはずです。ところが、その手・手のひらが、平気で人命を奪い、不正に使われ、「汚れたる手」となってしまうのです。使い方次第では、とんでもない道具になってしまうという訳です。 レイキ実践者にとっては、この手一つが何よりも大きな道具となります。決して間違った使い方をしませんように・・・と願っています。 2005/12/01(木) 今日という日 仲良しのアイちゃんは、九九算を覚えるのに一生懸命です。学校から帰ると「今日は7の段を教わった。5の段は簡単だからすぐ覚えられたけど、7の段は難しいよ」と言いながら、繰り返し繰り返し大きな声でやっていました。これまでに、2の段から7の段まで教わり、それぞれに下がり九九もするのだそうです。<私たちが小学生のころ、下がり九九なんてやったかしら>と思いながら聞いていました。 一生懸命練習した甲斐があり、「今日、先生から2の段から7の段までの合格をもらったよ」と帰ってきました。今日は真っ直ぐ自分の家に帰ることになっていたにもかかわらず、その報告をしたかったためか、間違えたふりをして我が家に帰ってきました。 アイちゃんと話してみると、今日やるべきことを一生懸命やり、明日への不安など何も感じていないようです。とにかく「今日、今」を生きることに精一杯です。このアイちゃんもいつの日か、明日への、また将来への不安や恐れを抱く日が来るのでしょうか。過去の出来事に囚われて、思い煩う日が来るのでしょうか。今のまま成長してほしいと思いますが、そうもいかないでしょう。しかし、できることなら「今日という日を、今を」大切に生きていってほしいと願っています。 今年1年の締めくくりともいえる12月を、皆さんはどのように過ごしていくのでしょう。 * 今月のらくがきindexより * 目の前を歩いていた若い女性2人の会話が、耳に入ってきました。 A子さん「私ってどうして不幸なんだろう。いつも幸せを逃してしまうんだよね」 B子さん「目の前にきたら、しっかりと捕まえなければいけないんだよ。チャンスを逃したら、次はなかなかやってこないよ」 ??? 幸せって、捕まえるものなのかしら? もちろん、物質的にも経済的にも恵まれていれば幸せかも知れません。しかし、心が豊かでなければ幸せであることも感じられません。幸せとは、辛いことも苦しいことも知っているからこそ、心で感じられるものなのではないでしょうか。皆さんは、どう思いますか? |
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