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2002/9月
     ただいるだけで

あなたがそこに ただいるだけで
その場の空気が あかるくなる
あなたがそこに ただいるだけで
みんなのこころが やすらぐ

    そんな あなたに
      わたしもなりたい
                  相田みつを

雲のいたづら

新米     H14/.9/29

 昨日、新潟の友人から純魚沼産のコシヒカリが届きました。今は、コシヒカリは全く珍しいものではありませんが、はっきり言って「純米コシヒカリ」というものは少ないようです。他種あるいは古米が、少なからずブレンドされていることがあるようです。生産者は純米で供出するのですが、中間でブレンドされるのですね。
 私はいつも生産者の方から直接いただいていたので、そのことを何年か前に聞いた時には「え〜、、そうなんだ」と妙に納得してしまいました。 今は、コーヒー、ハーブティー、その他何でもブレンドされる時代ですから、ブレンド米というのもおかしくはありませんね。
 友人からのお米は何よりもありがたく嬉しいのですが、もう一つ箱を開けるときの楽しみがあります。何だと思います?・・・・・・? 箱を開ける前、毎年<入っているかな?>とわくわくします。実は、お米だけでなく数本の稲穂が同梱されているのです。これがとても楽しみなのです。我が家にいらした方は、「なぜこんなところに稲穂が?」と首を傾げますが、私にとっては大変貴重な稲穂だったのです。


★自在な心     H14/9/18

 お釈迦様は仏教の世界の一つとして、「物事にとらわれない世界、自在になる心を自分のものにしなさい」と教えています。ほんとうに人間が幸せになるためには、執着から離れなければならない。あれが欲しい、これが欲しいというような、限りない欲望の執着から卒業しなさい。それをふり捨てることにより、とても気持ちが楽になり、自由になれると教えています。
 たとえば「私はどうしても○○のバッグが欲しいの。あれを手にするまでは‥」とか「うちの子はどうしても◎◎大学に入れたいの」「私は絶対あの人を許すことができない」などのように、どうしても何かに執着してしまいます。しかし、そのような執着を手放しなさいといっているのでね。
 確かに、何ものにもとらわれないようになるととても気持ちが楽になります。傍から見ると、何も心配事も悩みもない「楽天家」のようにも見られます。でも、「物事に執着しない自在な心」‥実は簡単そうで、大変難しいことなのですね。仏教の教えということに拘らず、皆さんもこの「自在な心」に一歩近づいてみませんか。



★こんな時あなたならどうしますか?  H14/9/16

 9/9「うちの親たちなら・・・」というテーマで書きましたが、またこんな場面に遭遇してしまいました。
 すぐ近くの大型店舗で、知人が通っている手工芸教室の作品展を見ているときのことでした。突然「だから言ったでしょう〜」と言う女性の異様な大声と共に「ウァ〜ン」と泣き叫ぶ声が聞こえました。何事が起きたのかと振り返ると、女の子が床面に座り込んでいました。どうやら転んだ弾みにジュースをこぼしてしまったようです。不運なことに、偶然そこを通りがかった年配の男性が滑り転んでしまいました。
母親はますます逆状して大声で怒鳴りつけ、子どもは母親の怒鳴り声にその場から立ち上がることもできず、ただ泣き続けました。幸い男性は何ともない様子でした。母親は子どもに「掃除をしてくれる人に頼みに行かなきゃいけないでしょう」と大声で怒鳴りつけるように言うと、子どもを無理やり立ち上がらせ、引きずるようにして立ち去りました。
 この間、母親は転んだ男性に一言も声をかけることなく、ただ我が子の失敗を責めて大声で怒鳴り散らしているだけでした。私は、この様子を見ながら近くの販売員さんに手まねで目を向けると、すぐにモップを持ってきてふき取ってくださいましたが、その後誰も掃除に来ないところを見ると、掃除を依頼したのかどうかは定かではありません。母親も再び戻ってくることはありませんでした。
 こういった子どもの失敗はよくあることで、私も経験しています。しかし、怪我とか命に係わる事ではありませんので、このように怒鳴ったことはありません。怒鳴っても仕方がないことだと思いませんか。それよりもっと大事なことがあると思うのですが・・・。
 もう少し冷静に見守ることができるような、心の余裕を持ちたいものですね。


★「宿命」と「運命」     H14/9/10

 私は「○○のような運命のもとに生まれてきたから・・・」ということばをよく耳にします。「ん? 運命のもとに生まれた。宿命ではないの?」と思った方がいらっしゃると思います。
 人生の中で唯一つだけ決まっていること、それは「宿命」です。
性別、国籍、家族環境は、自分の力ではどうすることもできない「宿命」です。たとえば、男であるか女であるか、どこの国に生まれてきたか、何人きょうだいの何番目であるかなどは動かしがたい「宿命」です。そのような中でいかに過ごすかはその人次第です。その環境の中でどのような体験をしていくか(生き方をしていくか)、これが「運命」と言えるのでしょう。ならば「運命」は自分の力で変えられるわけですね。


★「うちの親たちなら・・・」    H14/9/9

 昨日、横浜に向かう車中、<やっぱり快速に乗ればよかったかな。でも、快速のすぐ後の電車は空いているな>などと思いながら、ぼんやりと窓外を眺めていました。いつもなら快速を利用し、車中では本を読むか瞑想にふけるかしているのですが、昨日は珍しくその気分ではありませんでした。
 途中駅から母娘孫(男児2人)3世代と思われるファミリーが賑やかに乗り込んできました。しばらくすると、弟君が何か大声を出しながら車両の前の方に走っていきました。
次いでお兄ちゃんが走っていき、戻り、また走って行きと繰り返していました。乗客はみな黙って見ていました。私も<お母さんもおばあちゃんもどうするかな?>と興味津々で見ていました。2人とも何も言わず、それでもおばあちゃんの方が男の子たちの方に向かって歩いていきました。この時、私はふと思い出しました。「うちの親たちなら、とっくに引っ叩かれているよな」という息子と息子の親友とのことばを・・・。
 この2人が山手線の車中でやはりこれと同じような場面に遭遇した時、前述の「うちの親たちなら・・・」そして「今の親は躾もできないんだから」と2人で話したということを後日語ってくれました。<2人ともまだ学生なのによく言うよ>と笑ってしまいましたが、「引っ叩かれる」という形容は、マナーを含めいろいろな面でそれくらい厳しく注意されたということを言いたかったのだと思いました。息子の親友のご両親を思い浮かべてみると、そのことばは頷けるものでした。
 <子どもたちは、実際のところ躾についてどう思っていたのだろう。聞いてみたいな?>と思っていると、「昔叱られた時は、なんて厳しい怖い親なんだろうと思った。だけど、それは僕たちが悪かったからで、きちんと怒られる理由もわかっていたし、ほんとうに感謝しているよ」という2人のことばがかえってきました。 
 それにしても、学生に「今の親は・・・」などと言われるようでは、なんて情けない世の中なんでしょう。今「虐待」が問題になっていますが、虐待と愛情を持って叱ること、教え導くことの区別ができないのでしょうね。


★関東現代霊気交流会終わる     H14/9/2

 昨日の「関東現代霊気交流会」は、私の把握するところでは70名を超える参加者でした。
受付のお手伝いをさせていただいた者として、多くの方のご参加を大変嬉しく思いました。
 「レイキって何だろう?」と関心をお持ちになって参加された方は、多少なりともレイキへの理解ができたでしょうか?また、レイキ実践者の方も受講過程にある方も、この交流会に参加されて、一人ひとりがそれぞれに何らかのヒントを得たり再認識・再確認するものがあったのではないかと思います。
 私は、URRI Japan 2000 京都での大規模なワークショップに参加してレイキサークルの醍醐味を体験していますが、今回初めて大人数でのレイキサークルを経験された方の感想はいかがでしたか?
 一人ひとりの手から流れるレイキエネルギーが、一つのエネルギーとなって会場にいた方全員を一つの輪にしました。このレイキサークルが、単にエネルギーを回し合うものではなく、世界の、地球の、そして宇宙全体の平安への祈りの輪となるものであってほしいと心から願います。

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